なぜ教師の説明は、できる子の模倣より届くのか

教える技術

できる子の解き方を真似させても、できない子はできるようになりません。理由は単純で、できる子自身が、自分の頭の中で省略している段階に気づいていないからです。では、教師の説明はなぜそこに届くのでしょうか。答えは熱意や話し方のうまさではなく、意図的に使い分けられる4つの技術にあります。この記事では、その中身と、証拠として言い切れる部分・まだ言い切れない部分を分けて整理します。

「さっと解く」姿を見せても、届かない

算数の授業で、解くのが早い子に「みんなの前でやってみて」と発表させたことのある先生は多いはずです。発表を聞いた子どもたちは「なるほど」という顔をしますが、いざ似た問題を自分で解かせると、手が止まる子は変わらず止まります。発表した子の頭の中では、問題を見た瞬間に複数の段階が一気に処理されており、本人にはその過程が見えていません。だから、聞いている子に伝わるのは、答えに至るまでの道筋ではなく、答えに至る速さだけです。この場面を「発表のさせ方が下手だった」で片づけると、次も同じことが起きます。

4つの技術として分解する

分かる子の模倣が届かないのは、本人が自分の思考過程を無自覚に、しかも高速に処理しているからです。これに対して教師の説明は、意図的に組み立てられる点で質的に異なります。その意図性を、4つの技術として具体化します。

技術① 無意識下の思考の言語化

児童が無意識に踏んでいる段階、つまり見て・考えて・解くまでの間にある省略された過程を、教師は意図的に取り出して言葉にできます。できる子には難しい「立ち止まって見せる」ことが、教師にはできます。

技術② 束の大きさの調整

一度にどれだけの情報を一つの束として渡すかを、聞き手に応じて意図的に変えられます。これは以前扱った、刻むのではなく束ね直すという技術(D4新幹線の説明は、各駅停車が必要な子には届かないチャンキングの差が生む「理解に必要な段階数」の差)の応用です。D4では通分を例に、その子の既習構造で扱えるサイズにまとめ直す判断について書きました。ここでは、束ねてよい理由が実は2種類あることを、別の例で示します。

一つは、下位の手順がすでに自動化されている場合です。繰り上がりのある筆算では、繰り上がりのない位の計算はすでに児童の中で自動化された手続きですから、そこを律儀に一段階ずつ説明し直す必要はありません。割り算の「立てる・かける・引く・おろす」も同じで、それぞれの手順は別の単元で習得済みの技能であることが多く、一つの流れとして束ねて渡せます。今日の新しい部分は個々の計算ではなく、この4手順を一つのサイクルとして回すことのほうだからです。

ただし、本当に自動化されているかを確かめずに省略すると、そこで既につまずいていた児童を見落とすことになります。省いてしまうのではなく、軽く触れて確認したうえで、比重を新しい部分に置く。この判断が必要です。

もう一つは、動作そのものが不可分な場合です。コンパスで円を描く場面では、針を刺す・目盛りを合わせる・弧を描くという各動作は、児童にとって初めて習う技能であり、まだ自動化されていません。それでも一つの束として渡せるのは、自動化されているからではなく、一連の動作が切り離せない一つの操作だからです。「針を刺す」だけを取り出して練習させても、円は描けるようになりません。

つまり、束の大きさの調整とは、すでに自動化された部分を無駄に解きほぐさない判断と、本来不可分な動作をあえて分解しない判断の、二つを指しています。

技術③ 全体像の一貫した提示

ひとりの話者が、最初から最後まで一貫した構造で全体像を伝えられます。児童の発言をつなぎ合わせて授業を進める場合と違い、話の筋道が途中で分断されません。

技術④ 注意を維持する声かけ・声の調整

児童の集中を保つための、声の大小・間の取り方・問いかけのタイミングを、教師は意図的に操作できます。そして、これは児童には原理的に難しい技術です。

児童は今、初めて出会う内容の理解にワーキングメモリの大半を使っています。そこへさらに、他の児童の集中度をモニタリングし、それに応じて自分の声や間を調整するという、それ自体が大きなワーキングメモリを要する作業を重ねて求めるのは無理があります。一方で教師は、説明する内容そのものをすでに習得済みです。だから内容の理解にワーキングメモリを取られず、その分を児童の状態を見ることに振り向けられます。技術④が教師の側にしか成立しないのは、経験の差というより、この負荷配分の差によるものと考えられます。

証拠として言えること・言えないこと

技術②の土台にある束の考え方、技術④の土台にあるワーキングメモリの考え方は、認知科学の知見として証拠水準が高いものです。一つの束が大きすぎれば処理しきれず、注意が逸れれば処理能力そのものが目減りする。この基本構造は確立しています。

一方で、「この4つを組み合わせれば説明が機能する」という統合そのものは、直接検証されたものではありません。4つそれぞれの効果を単独で測定した実験があるわけでもありません。ここで示しているのは、確立した認知科学の知見からの実践的な統合であり、証拠水準としては中程度と考えるべきものです。

留保

4つの技術は、既存の知見から論理的に導いたものであり、この組み合わせ自体を検証した研究はありません。「4つ揃えば必ず説明が機能する」と断定はできず、実践上の指針として提示するにとどまります。また技術②の2つ目の基準、動作が不可分だから束ねて渡すという判断は、認知科学の実証知見というより、動作の性質からの整理です。この点は自動化にもとづく1つ目の基準とは証拠の強さが異なります。

「教えて考えさせる」との対比

「教えて考えさせる授業」の説明フェーズは、この4つの技術を無自覚にではなく、設計として組み込む場です。児童の発言を拾ってつなぎ合わせながら進める展開では、話者が入れ替わるたびに技術①から④までのコントロールが失われます。

ただし、これは「教師が一方的に話せばよい」という意味ではありません。以前取り上げた、重要事項を2回説明する技術では、1回目と2回目の間に質問タイムを挟み、児童がどこで止まったかを教師が見取ります。また、同じ説明をもう一度渡す技術は、児童自身が自分の理解の穴を見つける機会にもなっています。説明は一方向で終わるものではなく、児童の反応を教師が拾い直す前提の上に成り立っています。

まとめ

模倣が届かないのは、できる子に手抜きがあるからではありません。教師の説明が届くのは、無自覚な模範ではなく、意図的に組み合わせられた4つの技術によるものです。


関連記事

ワーキングメモリ過負荷、学級の主導権に関する記事は近日公開予定です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました