「子どもをよく見る」の中身は、見ることではない

教える技術

「子どもをよく見なさい」。教員なら一度は言われる言葉です。ただ、では明日の一時間目に何をすれば「見た」ことになるのか、手順として答えられる人は多くありません。この記事では「見る」を目的の側から定義し直し、行動分析学で確立した知見を使って、明日そのまま実行できる形に落とします。実践編は今回から、フィードバックの量と質という新しいテーマの連作に入ります。

「見ていた」はずなのに、何も返っていない

算数の練習問題の時間です。教師は机間指導に回り、手が止まっている子の横について五分ほど説明します。顔を上げると、教室の半分はもう解き終わっています。終わった子には何も言えないまま、チャイムが鳴ります。

この一時間、教師は確かに教室を見ていました。けれど解き終わった十数人の側から見れば、この時間に自分へ返ってきたものは何もありません。今日一度も名前を呼ばなかった子が、一日の終わりに思い浮かぶことがあります。思い浮かばないこともあります。

Q20(子どもの方が権力を持っている ― だから教える技術が要る)で書いたとおり、教師にできるのは「聞かせる」ことではなく「聞いてもらう」ことでしかありません。その関係を日々つくっているのが、この小さな反応の積み重ねです。

技法:「見る」を、返す行為として設計し直す

1 目的から逆算して定義する

「見る」は曖昧な言葉です。視線を向けることなのか注意を払うことなのか定まらず、定義できないものは実行の手順にも振り返りの対象にもなりません。そこで目的の側から逆算します。子どもを見るのは、その子の行動が定着し成長するためです。行動の定着に効くのは、行動に何かが返ってくることです。であれば「見る」の実質は、行動にフィードバックを返すことだと言い換えられます。観察できない言葉を、目的から逆算して観察可能な行為に置き換える。この型は、本編で扱う「思考は直接観察できないので、解ける問題から逆算する」という考え方と同じです。

2 濃さを三段階で設計する

返す量は一定である必要はありません。行動分析の標準的な運用に沿えば、三段階になります。

立ち上げ期は、毎回返す。 まだ身についていない行動には、見つけるたびに返します。獲得が最も速いのがこのやり方です。

定着してきたら、間引く。 毎回返し続けると、返らなくなった瞬間に行動が急に落ちます。定着の兆しが見えたら、意図的に回数を減らします。

それでも、ゼロにはしない。 間引くことと、やめることは違います。ここが本記事で最も重要な一点です。

3 何を、どれだけ返すか

長い言葉は要りません。Q7(「すごいね」の主語は誰か ― 褒めると認めるの境界線)の三段階のうち、事実確認(「もう始めてるね」「三問目までいったね」)が最も低コストです。評価の言葉を探さずに、見えたことをそのまま言うだけで済みます。

目が合うことと見ることも別です。三十人と目を合わせるのは不可能ですが、行動に一言触れるだけなら一人三秒で足ります。十人で三十秒です。

4 誰に返していないかを管理する

返す相手は放っておくと偏ります。手が止まっている子と目立つ子に集中し、黙って指示どおり動いている子への反応が一日ゼロになります。名簿に印をつけるだけでも偏りは見えます(運用上の工夫であり、検証された技法ではありません)。

エビデンス:部分強化効果と、消去

行動分析学の強化スケジュール研究で確立した知見に、部分強化効果があります。断続的に強化された行動は、毎回強化された行動より、強化が止まった後まで長く持続します。連続強化は獲得が速い代わりに消えるのも速いのです。

ただしこれとは別に、消去という現象があります。一度確立した行動でも、フィードバックが完全にゼロになれば徐々に減り、やがて消えます。低学年の元気な挙手や返事に教師が反応しなくなると、その行動自体が消えていくことがあります。

部分強化効果は「断続的にでも返り続けている」場合、消去は「完全に返らなくなった」場合の話です。混同すると「フィードバックは少なくていい」という誤読になります。正しくは「毎回でなくていい。ただしゼロにしてはいけない」です。

証拠水準について。 部分強化効果と消去はどちらも行動分析学で確立した知見ですが、「見る=フィードバックを返すこと」という等式そのものは論理的な接続であり、直接検証されたものではありません。(本編のI系では、問題解決型学習が即時フィードバックを避ける設計思想そのものを扱います。)

反論の先回り

「毎回反応していたら、反応がないと動けない子になるのでは」。これは正しい懸念で、実際そのとおりになります。連続強化は消去に弱いからです。だからこそ立ち上げ期を過ぎたら意図的に間引きます。この記事が言っているのは「たくさん返せ」ではなく「濃さを設計せよ」です。間引くのは返さないためではなく、返り方を予測させないためです。

明日から使えるまとめ

「見る」とは、返すことです。適切で新しい行動には毎回、定着したら間引き、それでもゼロにはしない。返す言葉は事実の一言で足ります。そして一日の終わりに、今日誰に一度も返さなかったかを確かめる。それが「子どもを見た」ということです。

次回

今回は「どう返すか」という質の話でした。では、返す量そのものが乏しい教室では何が起きるのか。次回Q11では、フィードバックが不足すると子どもは悪い行動によってそれを取りに来る、という構造を扱います。

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