分数×分数のつまずきは、かけ算ではない

教える技術

分数×分数の計算でつまずく子を見ると、「かけ算の手順が身についていない」と考えがちです。しかし実際につまずく場所を追うと、手順そのものではなく、もっと先の一点に集中していることが分かります。単元の「本質」をどこに置くか、これが授業設計の基本になります。

現場の場面

6年生の分数×分数の単元。導入で「分子どうし、分母どうしをかける」手順を説明し、練習問題を何問も解かせる。多くの子は数問でこの手順を覚え、正しく計算できるようになる。ところが計算結果を約分する場面になると、途端に手が止まる子が出てくる。答えの分子と分母を見比べたまま、鉛筆が動かない。かけ算そのものは正しくできている。それなのに、答えを出す最後の一歩で止まっている。教師は机間巡視をしながら、どこで詰まっているのか、しばらく判断がつかないまま見て回る。

黒板には「分子×分子、分母×分母」の手順が大きく書かれたままだ。もう一度指差して確認しても、うなずくだけで手が動かない。手順は分かっている。約分の段になると、どの数字とどの数字が割れるのかを見つける作業でつまずいているのだが、教師の側は「手順が定着していないのでは」という見立てをまだ手放せずにいる。

構造の解説

このとき見落としやすいのは、単元の中で本当に習得させたいものは何か、という一点です。分数×分数の本質は「分子×分子、分母×分母」という手続きそのものにはありません。手続きは数問練習すれば覚えられます。子どもが最終的に詰まりやすいのは、計算後の約分――どの数で割ればよいかを見つける場面です。単元の本質は、この約分の力にあります。

約分そのものは前の学年ですでに学習済みです。この単元で新しく学ぶのは、かけ算の手続きとその意味づけにすぎません。子どもがつまずく場所の多くは、今学年の新出内容ではなく、前の学年で自動化しきれていない力が新しい文脈で表に出てきているだけだと考えられます。

同じ構造は他の単元にも見られます。線対称・点対称の学習で本当に育てたいのは、図形を描く作業ではありません。対応する点の位置をどう見つけるか、どの性質を使えば位置が決まるか、その関係の理解にあります。

この見極めをもとに、教師は負荷を二種類に分けて設計する必要があります。削るべき負荷は、難しい言い回しの問題文、読み取りにくい図、一度に扱う情報量の多さといった、本質と関係のない部分です。残すべき負荷は、約分ができるか、なぜ対称の軸から等しい距離にあるのか、どの性質を使えば位置が決まるのか、その本質そのものです。

教師の専門性は「簡単にすること」ではなく、不要な難しさを取り除き、考えるべき本質だけは簡素化せずに残すことにあります。話し合いが盛り上がったとしても、それが本質からずれていれば、授業の中心にはなりません。中心に置くべきは、活動の盛り上がりではなく、本質にあたる部分がどれだけ残っているかです。

本質そのものと、本質を発揮させる手続きは分けて考える必要があります。掛け算をすべて計算し終えてから約分すると、数字が大きくなった分だけ公約数を見つけにくくなります。掛ける前に約分できる箇所を見つけておけば、扱う数は小さいまま、同じ約分の作業に取り組めます。指導資料にも、答えを出してから約分するより計算の途中で行う方が簡単だと明記されているものがあります。削られているのは約分の力そのものではなく、それを発揮する場面の数字の大きさです。

エビデンス

この区別は、認知負荷理論の外在性負荷と本質的負荷の区別に対応します。ワーキングメモリの容量は限られており、不要な負荷(外在性)に使われた分だけ、本来学ぶべき内容(本質的負荷)に使える余力が減ります。不要な負荷を減らし、スキーマ構築に必要な負荷を確保する。これは認知負荷理論の中でも確立度の高い知見です。分数×分数の例では、手続きの反復自体はさほど大きな負荷を占めません。約分の処理にこそ、認知資源を割り当てる必要があります。

外在性負荷と本質的負荷の区別そのものは、教育心理学で確立した知見です。ただし、ある単元のどこが外在性でどこが本質的かの切り分けは、教師の教材研究による判断が入ります。つまずきが前の学年の未自動化スキルに由来する見立ても、認知負荷理論からの論理的な推論であり、個別ケースを直接検証した研究はありません。掛ける前に約分する手続き自体は指導資料に見られる一般的な方法ですが、それが負荷を軽くするという説明は本記事の解釈です。

留保

ここで挙げた「約分でつまずく」は典型的な傾向であり、すべての子どもに一律に当てはまるものではありません。つまずく場所は単元・個人によって異なります。本質をどこに置くかの見極め自体も、教師の教材研究に依存する部分が大きく、機械的なチェックリストに落とし込めません。掛ける前に約分する手続きも、負荷の軽さの体感には個人差があり万能ではありません。

「教えて考えさせる」との対比

教えて考えさせる授業は、説明フェーズで手続きを先に渡し、理解確認フェーズで本質にあたる部分(約分・対応する点の見つけ方)を検証する構成を取ります。このため、外在性負荷と本質的負荷を切り分けやすい設計になっていると考えられます。

ただし、この授業構造が自動的に区別を実装しているわけではありません。単元の本質の見極めは、この授業構造でも結局は教師の教材研究に依存します。設計が優れていても、見極めを誤れば、同じつまずきは起こり得ます。違いは、見極めた本質を授業のどの段階で扱うかという設計上の差にあり、見極める作業自体を教師から取り除くわけではありません。

まとめ

授業設計の第一歩は、削ってよい負荷と、残すべき本質を、教師自身が見極めることにあります。それは「簡単にする」こととは違います。

次回予告・関連記事

本質の見極めという視点は、支援の設計をどちらの方向に向けるべきかを扱う記事(D6)や、「考える力」そのものの定義を扱う記事(F3)ともつながります。前の学年の力が新しい文脈で自動化不足として表れるという視点は、課題を下位技能に分解して指導順序を組み立てる技術を扱う記事でも展開予定です。いずれも近日公開予定です。

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