今日から新しい単元に入る。子どもたちが昨日まで知らなかった内容を、今日はじめて教わる。そんなとき、どんな教え方が最も効果があるのでしょうか。実はこの問いには、教育界の外にすでに答えの体系があります。産業訓練や軍事教育の分野で積み上げられた知見です。ところが日本の授業研究は、それをほとんど参照していません。参照されないままの二つの分野を手がかりに、「教えること」自体が最大級の支援技術ではないか。この論点を示します。

白紙のまま終わったプリント
算数の授業です。ある子がプリントの前で鉛筆を止めたまま、何分も動きません。教師はそばを通りながら「まずは自分の力で考えてみよう」と声をかけ、ヒントは与えずに机間巡視を続けます。隣の子がノートに図を描き始め、その子は横目でちらりと見ますが、自分では手が動きません。周りの鉛筆の音だけが響き、手を挙げることもできず、かといって隣に聞くわけにもいきません。チャイムが鳴るまで、プリントは白紙のままでした。放課後、教師はその子を残して、一から解き方を説明します。教えれば数分で終わる説明を、授業中には一度も渡さなかったことになります。
教育界の外にある、二つの体系

教える技術には、すでに体系として整理された知見があります。一つはインストラクショナルデザインです。産業訓練・軍事教育・eラーニングなどの分野で発展してきた実証的な体系で、即時フィードバックやスモールステップなど、効果が検証されてきた原則群を持っています。もう一つは応用行動分析(ABA)で、子どもが行動を起こす前の条件を整える先行子操作など、教師が支援の形を具体的に設計するための枠組みを扱います。どちらも、新しい内容を子どもがどう受け取るかを、教師の側から意図的に設計する発想です。日本の授業研究の語彙には、この発想自体がほとんど登場しません。
ここで問いたいのは一点です。「教える」という行為そのものが、支援技術の中でも最大級のものではないでしょうか。初学者(今日はじめて習う子ども)には明示的な教授がガイドなしの発見学習より効果的だという知見を、「指導法の優劣」ではなく「支援の強さ」の軸で読み替えてみます。すると問題解決型学習は、授業の中心的な場面で、最も強い支援をあえて使わない選択をしていることになります。
この構造は、学習方略のような汎用スキルにも当てはまります。何かを効率よく身につける方法の一つは、すでにできる人から直接教えてもらうことですが、発見が前提の授業では、この最も効率的な獲得経路そのものが採用しにくくなります。
一つ手放すと、連なる技法群が使いにくくなる
この選択が難しいのは、単独の技法を一つ手放すだけでは終わらない点です。
| 封じられやすい技法 | 構造的にやりにくくなる理由 |
|---|---|
| 最終到達点を先に見せる(先行オーガナイザー) | 教師が到達点を知っている状態が、発見の建前と矛盾しやすい |
| 将来どう役立つかを伝える(効用価値介入) | カリキュラム全体を見通す立場が露呈しやすい |
| 支援を多→少で漸減させる | 「まず自力で」の順序が先に固定されている |
| 課題の難易度を調整する(先行子操作) | 教師が手本を示す・誘導することが制限されやすい |
| 学習方略を明示的に教える | 最も効率的な獲得経路を、建前上採用しにくい |
| 視覚的な情報を渡す(図・構造) | 下記の区別を参照 |
視覚的な情報については、一つ区別が要ります。全員が理解するために必要な土台となる図は、本来教師が渡すべきものです。それを子どもの発想任せにすると、届くかどうかが運になります。一方、理解したうえで自分がより深く表現するために描く図は、子ども自身が選んでよいものです。同じ「図を描く」行動でも、理解の前提として要るのか、理解の先で使うのかによって、位置づけは正反対になります。問題は図そのものではなく、前者まで子どもの発想に委ねてしまう構造にあります。
確立した知見と、束ねた整理の差

初学者への明示的な教授がガイドなし発見学習より効果的である点自体は、教育心理学で確立していると考えられます(Kirschner, Sweller & Clark, 2006)。もう一つ、対称の方向からの傍証もあります。人に教えるつもりで学習すると、自分の理解が深まる現象(protégé effect)が知られており、教える側にも効果が及ぶことは、「教える」行為が持つ効果の大きさを逆方向から裏づけるものと考えられます。
ただし、この記事が示す「教えることが最大級の支援技術である」という整理は、これらの知見とインストラクショナルデザイン・ABAの各原則を束ねた理論的なもので、整理そのものを直接検証した研究ではありません。個々の原則の証拠水準が高くても、束ねた整理の証拠水準は一段下がります。本記事の主張は証拠水準「中」にとどまると考えられます。
教えれば完成する、ではない
一つ補っておきます。教えることが最大級の支援技術だとしても、教えれば理解が完成するわけではありません。教わった内容を自分で使ってみる時間がなければ定着しないため、「教える」と「考えさせる」は本来対立しません。また上の表は「問題解決型学習ではこれらが一切できない」という意味ではなく、構造的にやりにくい、建前と矛盾しやすい、その限定で読んでください。
「教えて考えさせる」との対比
教えて考えさせる授業は、この表の裏返しとして位置づけられます。最終到達点を支援つきで先に見せ、支援を多から少へ漸減させ、課題の難易度を先行子として調整する。いずれも上の表で「封じられやすい」とした技法にそのまま対応しています。教えて考えさせる授業は、教える技術の体系を無視して成り立っているのではなく、その体系のいくつかの原則を意識的に取り込んだ設計だと考えられます。同じ技法の一覧が、片方では制約になり、片方では設計の骨格になります。この非対称こそが、本記事が示したかったことです。
まとめ

教える技術には、すでに答えの一部が出ています。参照しない選択そのものは、これまで十分に検証されてきませんでした。次回以降、上の表に挙げた各項目を個別に掘り下げ、日本の授業研究がこれらの分野を参照してこなかった理由にも、別の記事で応えていきます。
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