前回は「何を認めるか」という選択の原理を扱いました。今回はそれを時間軸に展開し、いつ、誰から着手するかを扱います。
最初に向かう先が、いちばん難しい
落ち着かない学級を立て直そうとするとき、最初に向かうのは、最も対応に手のかかる子であることが多いはずです。目の前で起きていることに注意が向くのは自然な反応で、個人の判断の甘さではなく、状況がそう仕向けます。
しかし、この順序は構造的に難しいものです。認めるという手立ては、望ましい行動が起きたときにしか使えません。その行動がまだ出ていない子から始めると、使える場面がほとんどない。結果として、残るのは制止だけになります。
順序を変えると景色が変わります。その前に、時間軸の全体像を整理します。
一年を三つの時期に分ける
年間の運用は、次の三つに分けて考えられます。
第一期(学級開き〜) 見過ごされがちな行動と、その企図を認める。目的は学習規律の確立です。
第二期(〜六月初旬) 同じ基準を維持します。長期休み明けに一度、意識的に再徹底します。
第三期(基盤が固まって以降) 規律の面で認める場面が減り、能力の伸びが見える場面が増えます。
ここで誤解されやすいのが第三期の位置づけです。基準が「規律から能力へ」切り替わるわけではありません。基準はどの時期も一貫していて、見えにくい積み上げを可視化する、それだけです。変わるのは、その積み上げが教室のどこにあるかだけです。

基盤ができれば、規律は「できて当然」の背景に退き、それまで見えていなかった能力の伸びが前に出てきます。移動しているのは認める対象の分布であって、原理ではありません。
なお、この時期の区切り方は実践から整理したもので、実証研究の裏づけはありません。四月・六月という区切りの一般性も検証されていません。目安として読んでください。
中間層から着手する、三つの理由
「誰から」への答えは、中間層です。理由は三つに分解できます。
ひとつめは、認める対象が手に入るかどうかです。 望ましい行動がまだ出ていない状態では、認めるという手立てが使えません。行動が出やすい層から始めるほうが、使える回数が単純に多くなります。
ふたつめは、環境そのものの効果です。 周囲が落ち着いていること自体が、その場で困難を抱えている子にとって、行動が乱れにくい条件になります。
みっつめは、注目の流れを断つことです。 ある行動に周囲が反応すると、その反応自体が注目という報酬になり、行動が続きやすくなることがあります。中間層が安定すれば、反応する「観客」が減る。この循環を外から断つことができます。

ここで証拠の強さを分けます。
注目が行動を維持する要因になり得ること、注目の量という条件を変えると行動の起こり方が変わることは、機能分析の研究が積み重ねてきた基盤的な知見です(証拠水準:高)。
ただしそれらの研究の多くは、特定の子ども一人の行動の機能を分析し、その子への関わり方を個別に調整する形をとっています。「中間層を安定させれば集団の水準で同じ操作になる」というのは、そこからの応用であり、実証されたものではありません(証拠水準:仮説)。
三つめが示しているのは、行動が起きるのはその子の性質ではなく、注目がどう流れているかという教室の条件による、という見方です。変えるのは子どもではなく教室の側です。
どこで切り替えるのか
「子どもの様子を見て、次の段階へ」という言い方は、何を見るのかが決まっていません。観察できる指標に置き換えます。
指標は、行動の前に置いていたプロンプトを外しても、行動が起きるかどうかです。
たとえば、活動を切り替える前に「準備できている人から始めます」と伝えていたとして、その一言をやめても姿勢が保たれるなら、支えが要らなくなったということです。
ここでいうプロンプトは指示に限りません。準備できている子を認めて他の子にやり方を見せることも、教師の側の願いを自分を主語にして伝えることも、同じ働きをします。命令の形をとらずに行動を引き出す設計は、別の回で扱います。
実装は四つの段階になります。
- プロンプトで行動を引き出す
- 起きた行動を認める
- 何が起きているかを言葉にして本人に気づかせる
- 基準に届かない場合は、いま出せている水準を認めながら、基準を少しずつ上げる
四つめは具体的にはこうです。一分間聞き続けることが難しい子には、三十秒聞けた時点で「その調子」と返す。完成形を条件にしなければ、認める機会が途切れません。
プロンプトを徐々に外す手続きも、基準を段階的に上げる手続きも、行動分析では確立した技法です(証拠水準:高)。ただしそれらは、ひとつの行動の連なりに使われてきたものです。クラス全体の段階を移すかどうかの判断に使うという、より大きな粒度への一般化は直接検証されていません(証拠水準:応用)。
なぜ、声かけが要らなくなるのか
では、なぜプロンプトは外せるようになるのでしょうか。
行動分析に、弁別刺激という考え方があります。「この状況でこの行動をすれば、こういう結果が返ってくる」という見通しを知らせる手がかりのことで、特定の人物がこの手がかりとして働き得ることは古典的な研究で確認されています(Redd & Birnbrauer, 1969)。
子どもは繰り返しの経験を通じて、「この先生の前では何が返ってくるか」を学習します。プロンプトが要らなくなるのは、教師の存在そのものが手がかりとして働き始めたからだと説明できます。前の節で挙げた指標には、行動分析上の裏づけがあるということです。

鍵は一貫性です。返し方がその時々の感情で変わると、見通しが立ちません。同じ行動をしても返ってくるものが日によって違う状態では、教師は手がかりとして働きません。
無自覚な運用と自覚的な設計の差は、ここにあります。技術の巧拙ではなく、随伴性が一貫しているかどうかです。「性格ではなく設計である」という主張に、ここで機序の説明がつきます。
ただし、この研究の対象は知的障害のある子どもです。弁別刺激は学習の基本的な原理であり、通常学級の子どもにも働くと考えるのは自然ですが、通常学級での直接の検証は確認できていません。この一般化は仮説として扱います。
この設計が機能しない条件
最後に、留保を三つ置きます。
時期の区切りは実践から整理した目安であり、一般性は検証されていません。
中間層からの着手は、個人を対象にした研究からの応用であり、集団の水準では実証されていません。
弁別刺激の通常学級への一般化は仮説です。加えて、認めるという手立て自体が働きにくい条件もあります。返し方の種類が合っていない場合、行動が注目以外の要因で維持されている場合、人前で認められることが本人にとって不利益になる場合です。指標が「プロンプトなしで起きる」に届かないとき、段階を移さず留まる判断も設計の一部です。
おわりに
順序と時期の設計は、経験則やセンスだけのものではなく、行動がどう起きるかという機序から導けます。
ただしその導出には、実証の裏づけがある部分と、応用や推論にとどまる部分が混在しています。どこまでが確立していて、どこからが仮説なのか。それを分けたうえで使う。設計として使うとは、そういうことです。
出典
- Redd, W. H., & Birnbrauer, J. S. (1969). Adults as discriminative stimuli for different reinforcement contingencies with retarded children. Journal of Experimental Child Psychology, 7, 440-453.(対象は知的障害児)
- 機能分析(functional analysis)研究群(注目によって維持される行動への先行条件の操作)
- プロンプトフェイディング/基準の段階的引き上げ(changing criterion)

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