学習方略を、大人数の話し合いが奪っている

教育

証拠水準:高(フリーライダー・協同的認知負荷理論/認知負荷理論の負荷の区別)/中(大人数の話し合いが学習方略の獲得・実行を圧迫するという因果)

「学び方」そのものは、教科の内容と違って一生使えます。ところが大人数の話し合いには、この「学び方」を身につける機会も、使う機会も、同時に奪ってしまう構造があります。しかも奪われ方は一種類ではありません。

現場の場面

グループでの話し合いの時間。ある子は、他の子の発言を聞き取り、自分の考えと見比べ、次に何を言うか組み立てながら、先生が求めていそうな方向も探っています。頭の中はほぼ満杯です。

この状態で、「今日、自分はどうやって分かるところまでたどり着いたのか」を振り返り、次に使えるやり方として持ち帰る余裕は、どれだけ残っているでしょうか。話し合いが活発なほど、この余裕はむしろ小さくなっているように見えます。

何が起きているのか

人が一度に頭の中に置いておける情報の量には限りがあります(ワーキングメモリ)。作業机の広さのようなもので、置くものが増えれば、別のことをする場所がなくなります。

この「机の広さ」をめぐって、大人数の話し合いでは3つのことが同時に起きていると考えられます。

①「気づいて覚える」場所がなくなる

やり方を身につけるには、「この解き方でうまくいった」「これで分かるようになった」と自分で気づき、それを覚えておく必要があります。認知負荷理論では、この作業に使われる負荷を本質的負荷と呼びます。学びそのものに使われる、必要な負荷です。

一方、他の子の発言を追い、必要な話とそうでない話を聞き分ける作業も、机の場所を取ります。こちらは学びの邪魔になる負荷(外在性負荷)です。邪魔な負荷が机を占領していれば、気づいて覚えるための場所は残りません。

②いちばん早い身につけ方を、使えない

やり方を効率よく身につける最良の方法の一つは、すでに知っている人に教えてもらうことです。しかし問題解決型学習は「自分で見つける」ことを建前としている以上、この最も早い道を、構造上そのまま採用しにくい立場にあります。

③持っているやり方も、使えない

グループで学ぶとき、一部の人が力を出さなくなる現象が知られています(社会的手抜き・フリーライダー)。加えて、話を追って聞き分ける作業そのものが負担になり、特に机の広さに余裕がない子ほどその負担を受けやすいことが、近年の研究で示されています。すでに使えるやり方を持っていても、それを使うための場所が机に残っていなければ、実行には移せません。

①②が「身につける」側の話、③が「使う」側の話です。原因が違うので、片方を解決しても、もう片方は残ります。

根拠

一部の人が力を出さなくなる社会的手抜き(フリーライダー効果)は、Latané et al.(1979)以来、社会心理学で確立した知見です。日本にも、話し合いの学習でこれがどう起きるかをコンピュータ上のモデルで分析した研究がありますが、これは理論上の分析であり、実際の教室を観察した研究ではない点に注意が必要です。

学びに使われる負荷と、学びの邪魔になる負荷を区別する考え方そのものも、確立した知見です(高)。

ただし、これらをつないで「大人数の話し合いが学び方の獲得と実行を構造的に圧迫している」と言う部分は、複数の確立した知見を組み合わせた推論であり、この組み合わせ自体を検証した研究があるわけではありません(中)。

この記事の主張は、一度変わりました

最初、この論点は「話し合いが新しいやり方を身につける機会を奪う」という形で考えていました。しかし調べていくと、この言い方は「ワーキングメモリーに余裕がない子ほど、話し合いから得るものが多いのか少ないのか」という、まだ決着していない議論に踏み込んでしまうことが分かりました。

そこで一度、「すでに持っているやり方が使えなくなる」という点だけに絞りました。

ところが整理し直すと、身につける側の阻害は、この決着していない議論を通らなくても説明できることが見えてきました。それが上の①と②です。結果として、身につける側も使う側も両方が阻害されうる、ただし理由が違う、という今の形になりました。

取り繕って最初から正しかったように書くこともできますが、その分だけ、どこまでが確かでどこからが推論なのかが読者に見えなくなります。

留保

「机の広さに余裕がない子ほど、話し合いから得るものが多いのか少ないのか」という議論は決着していません。この記事では、その議論を通らない道筋だけに絞っており、得るものの大きさそのものについては判断を保留します。

「教えて考えさせる」との対比

教えて考えさせる授業では、「他の人と比べてどうか」ではなく「自分の理解が進んだか」が評価の軸になります。そのため、他の子の発言を聞き分けるという邪魔な負荷が生じにくいと考えられます。加えて、やり方そのものを先生から直接教わる道を取るため、机の場所が学び方の獲得と実行に使われやすい構造だと考えられます。

まとめ

話し合いが活発であることと、学び方が身につくことは、必ずしも両立しません。机の広さは有限で、何かに使えば別の何かには使えないからです。

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この論点は当初、振り返りの起源(デューイ)まで含んだ構成でしたが、分量が膨らんだため、その部分は「振り返りは、PBLの理論的な核だった」として独立させました。また、ワーキングメモリの過負荷とインクルーシブ教育の矛盾を扱った記事、検索練習・分散学習という学び方そのものを扱った記事、学習の主導権が誰の手に残るかを扱った記事、教える技術の総論・見て盗め文化・AI時代に必要な姿勢を扱った各記事、力を出さない状態が固定していく仕組みを扱った記事とも接続しています(いずれも近日公開予定です)。

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