授業の冒頭で今日の流れを黒板に貼り、めあてを書く。「見通しを持たせる」は授業改善の合言葉になりました。しかしその見通しは、子どもが本当に抱えている不安に答えているでしょうか。「手順の見通し」と「内容の見通し」を区別すると、問題解決型学習が構造上、前者しか示せないと考えられることが見えてきます。

現場の場面
黒板の左端に、マグネットで留められた四枚のカード。「めあて」「話し合い」「まとめ」「振り返り」。授業の最初にそこを指しながら、今日はこの順番で進みます、と確認する。指導案には「見通しを持たせる」と書かれ、参観者のチェックシートにも同じ項目が並びます。
ここで、うしろから三列目の子の頭の中を想像してみます。彼が知りたいのは、授業が四つの段階で進むことでしょうか。おそらく違います。関心は「今日出される問題が、自分に解けるのか」の一点に集中しています。四枚のカードは、その問いに一言も答えていません。それでもこの場面は「見通しを持たせた」場面として認定されます。
構造の解説

見通しには、少なくとも二種類あると考えられます。手順の見通しは、授業がどんな段階で進むかというプロセスの予告。内容の見通しは、今日自分が何を分かるようになり、そこにたどり着けそうか、というゴールの予告です。
不安を解消しうるのは後者だけだと考えられます。旅行にたとえるなら「まず集合、次に移動、最後に解散」という説明で安心する人はいません。安心するのは、目的地がどこで、自分の足で歩ける距離なのかが分かったときです。
では、なぜ問題解決型学習は内容の見通しを示さないのか。示さないのではなく、示せないのだと考えられます。今日の到達点、つまり答えを先に告げれば、その後の「自ら発見する」時間は消滅するからです。
そして自己矛盾が現れます。「見通しを持たせる」と言えるのは、教師が到達点をすでに知り、管理下に置いているからです。見通しを持たせるという行為自体が、教師が正解を持ちそこへ誘導しているという構造の自白になっています。子どもが本当にゼロから発見するのなら、教師にも見通しは持たせられないはずです。
この衝突を回避した結果、提示できる見通しが手順しか残らない。めあての形骸化は、教師の運用が下手だから起きているのではなく、示せる見通しが手順しか残っていないから起きている。前回の「めあて」と「まとめ」の帳尻合わせ構造(C3)と、同じ根から生えていると考えられます。
エビデンス

本項は直接の実証研究がある主張ではなく、周辺の知見からの推論です。証拠水準は「中」とします。
Ausubelの先行オーガナイザー(advance organizer)は、学習前に内容の枠組みを与えることを扱う概念であり、手順の予告ではありません。示すべきは工程表ではなく中身の地図だという方向を示唆します。Locke & Lathamの目標設定研究では、行動を方向づけるのは達成可否を判定できる具体的な目標だとされます。「話し合う」「まとめる」という活動の記述は、目標として機能しにくいと考えられます。Banduraの自己効力感も「自分にはできそうだ」という予期であり、手順を知ることからは生じにくい。いずれも教室での直接検証ではなく、条件つきの推論として扱ってください。
留保
問題にしているのは「見通しを持たせること」ではなく、手順の提示を見通しと呼ぶ運用です。手順の共有には学級経営上の価値があり、それ自体は否定されません。内容の見通しをある程度示す実践も存在しうるでしょう。ただしその場合、発見の余地は示した分だけ削られるというトレードオフが残ります。
「教えて考えさせる授業」との対比
「教えて考えさせる授業」では、この問題は予習という形で先に解かれています。予習の役割は先取りの暗記ではなく、今日何を扱うのかを大づかみに予測し、自分が何を分かっていないかを自覚することです。子どもは「ここが分からないから、聞きに来た」という状態で授業に入る。これが内容の見通しです。さらに説明フェーズで解法を示した時点で、到達点は全員に共有されます。見通しは貼り出すものではなく、設計に埋め込むものだと考えられます。
まとめ

本当の見通しとは、手順を知っていることではなく、今日の内容を予測でき、自分の分からない場所が分かっている状態だと考えられます。それは予習によって得られます。黒板の四枚のカードは、その代わりにはならないのではないでしょうか。
次回予告
次回から第2クールに入ります。C0「『理解したつもり』と『解ける』のズレを、いつ検出できるか」。理念で優劣を争うのをやめ、ズレを何分後に検出できる設計かという一点で比較する枠組みを扱います。今回の「解けるのか分からない」という不安も、突き詰めればこのズレの話です。
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