一番できる子には、実はうまくいかない瞬間があります。その瞬間をどう扱うかで、周りで見ている中間層の子どもたちへの影響が変わってくると考えられます。いつもは届かない上位層の姿が、ある条件のもとでは届く手本に変わるとしたら、教師にできることも変わってきます。今回は、この仮説を扱います(4日間連続投稿の2日目)。

現場の場面
いつもすぐに問題を解き終えてしまう子が、その日に限って手を止めています。何度か消しゴムを使い、鉛筆の先を見つめ、なかなか次に進みません。教師が近づいて「今日はちょっと難しかったね。でも、よく粘ったね」と声をかけます。
その様子を、少し離れた席から見ていた子どもたちがいます。いつも先に終わってしまう子が、自分と同じように手を止め、それでも粘り、認められている。ふだんなら「すごいな」で終わる相手が、今この瞬間だけは自分に近い立場に見えたのかもしれません。その光景を見た子どもたちの表情が、少しだけ変わる瞬間があります。
構造の解説
いつも落ち着いてできている子の普段の姿は、指示が入りにくい子どもから見ると、差が大きすぎて手本になりにくいことがあります。できて当たり前に見えてしまい、自分との共通点を見つけにくいためです。
ただし、上位層の子どもにも、実際にはうまくいかない瞬間がゼロではありません。その瞬間を教師が見つけて認めたとき、状況は少し変わります。周りの中間層の子どもから見ると、「いつもできている子でも、うまくいかないときがある」「それでも粘って、認められている」という場面は、普段の完成された姿よりも、自分に近い状態に見えるのではないかと考えられます。
この着眼は、前回扱ったコーピングモデル(苦戦しながら乗り越える過程が見えることが、モデルとしての効果を持つ)に近い構造です。ただし前回が中間層自身の日常的な過程を扱ったのに対し、今回扱うのは上位層に一時的に生まれる、同じ種類の場面です。普段は届きにくい存在だからこそ、この一瞬の効果には意味があると考えられます。
理論的な基盤は、バンデューラの代理強化・観察学習です。他者の行動が認められる場面を見ることで、自分もその行動を取ろうとする働きが確認されています。次回扱う「困っている子の隣を認める」技法も同じ理論に立ちますが、そちらが困っている子本人への直接の効果を狙うのに対し、今回は上位層の困難克服が中間層に波及する経路を扱います。対象となる子どもも、効果の向かう先も異なります。

エビデンス
代理強化・観察学習という理論そのものは、バンデューラの一連の研究で確立されており、証拠水準としては高に位置づけられます。他者への強化が与えられる場面を見ることで、観察者の行動が変化することは繰り返し確認されてきました。
一方で、上位層の困難克服の場面がコーピングモデルとして中間層に機能する、という今回の具体的な適用は、直接検証されたものではありません。理論としては説得力があると考えられますが、教室での効果は仮説の段階にとどまるものとして読んでください。どの程度の頻度でこうした場面が起き、どの程度届くのかも、今のところ分かっていません。

留保
最も大事な留保です。「上位層の姿でも、困難克服の瞬間なら中間層に届く」というこの記事の見方は、バンデューラやSchunkの研究が直接示したものではありません。二つの理論を組み合わせて本シリーズが作った推論であり、裏付けを取っていないため断定はできません。仮説として読んでください。
また、上位層の子を道具のように使う話でもありません。困難を教師が誇張・演出することは想定しておらず、実際に起きた場面に限った話です。認められる経験には、その子自身にとっても独立した価値があります。
教えて考えさせる授業との対比
教えて考えさせる授業(OKJ)では、教師が解説する過程そのものの中に、「ここは難しいところですね」と、一時的な困難を明示的に言葉にする場面が作りやすい構造があります。
問題解決型学習のように子どもが自力で解決に向かう設計では、困難の場面がその子の内側に隠れたまま進みがちです。教師がそれを見つけて認める機会自体が、構造的に少なくなると考えられます。困難の場面そのものが起きていないわけではなく、教師の目に留まりにくいという違いです。
まとめ
できる子の「できなさそうな瞬間」を見逃さず言葉にすることが、周りの子どもへの届き方を変えるかもしれません。特別な演出をしなくても、日々の授業の中に、その機会はすでにあります。

次回予告
上位層の困難克服がどう波及するかは、あくまで仮説として見えてきました。この見方が正しいかどうかは、今後の実践の積み重ねで確かめていく必要があります。次回は、困っている子の「隣」を認めることで生まれる、もう一つの効果を扱います。
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