
「バツをつけない方が、子どもに優しい」
「間違えさせない方が、自信が育つ」
教育現場では、こうした感覚が広く共有されています。
しかし、学習科学の視点から見ると、この前提はかなり危うい。
結論から言います。
バツがつくから、授業には意味があります。
逆に言えば、最初から丸しかつかない授業では、学習はほとんど起きていません。
学習とは何か──定義から確認する
教育心理学・学習科学での共通理解は、極めてシンプルです。
学習とは
「分からなかったことが、分かるようになる過程」
この定義に照らすと、
最初から正解できている活動は「確認」ではあっても、「学習」ではありません。
つまり、
- 丸しかつかない
- つまずきが出ない
- 教師の想定通りに進む
こうした授業は、安心そうに見えて、成長の余地がほとんどないのです。
バツは「罰」ではなく「情報」である
ここで重要なのが、バツの意味の取り違えです。
バツは、
・能力の否定
・努力不足の証明
・評価のための印
ではありません。
バツとは、
- どこが分かっていなかったのか
- どこで思考がズレたのか
- 次に何を修正すればよいのか
を示す、極めて重要な学習情報です。
この考え方は、教育評価研究の中核をなしています。
研究が示す「失敗が必要な理由」
① 形成的評価(Formative Assessment)
ポール・ブラック と
ディラン・ウィリアム の研究では、
正誤は成績づけのためではなく、
次の指導を決めるための情報である
とされています。
つまり、間違いが出ない授業では、指導そのものが成立しません。
② エラー・ベースド・ラーニング
学習科学では、人は
- 正解をなぞるより
- 誤りを修正することで
理解を深めることが分かっています。
バツが出ない授業では、
この「修正」がそもそも起きません。
③ 即時フィードバック理論
ジョン・ハッティ のメタ分析では、
- フィードバックは教育介入の中でも最大級の効果を持つ
とされています。
ただし重要なのは、
**フィードバックは「間違いが出て初めて機能する」という点です。
④ 認知負荷理論
ジョン・スウェラー によると、
分かっていない学習者は、
自分の誤りを自力で検出できない
つまり、誤りが示されないと、
子どもは「分かったつもり」のまま進んでしまう。
これは、丸しかつかない授業で頻発する現象です。
「失敗できない授業」が壊しているもの
失敗を出さない設計は、一見すると穏やかです。
しかし構造的には、次の問題を生みます。
- つまずきが見えない
- 教師が支援に入れない
- 子どもが修正経験を積めない
結果として、
「できたかどうか」ではなく「参加したかどうか」だけが残る
学習が、成長ではなく雰囲気の問題にすり替わっていきます。
だから必要なのは「失敗できる授業」
ここで言う失敗とは、
- 早く出る
- 軽く扱われる
- 直せる形で示される
失敗です。
厳しさを競う話ではありません。
子どもや教師を責める話でもありません。
問い直しているのは、授業の構造です。
まとめ
- バツは罰ではない
- バツは「ここから伸びる」という情報
- 失敗が見えるから、修正できる
- 修正できるから、成長が起きる
最初から丸しかつかない授業は、
子どもに優しいようで、学びには不誠実です。
あなたの教室では、
失敗はちゃんと「次の一手」につながっていますか?

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